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奈何(いか)にも倦(う)んじき
古谷(ふるや)俊男(としを)は、椽側(えんがは)に据(す)ゑてある長椅子に長くなツて、兩(りやう)の腕で頭を抱(かゝ)へながら熟(じつ)と瞳(ひとみ)を据(す)ゑて考込むでゐた。體(からだ)のあいた日曜ではあるが、今日のやうに降ツては何(ど)うすることも出來ぬ。好(すき)な讀書にも飽(あ)いて了(しま)ツた。と謂(い)ツて泥濘(ぬかるみ)の中をぶらつ[#「ぶらつ」に傍点]いても始まらない。で此(か)うして何(な)んといふことは無く庭を眺めたり、また何(な)んといふことはなく考込むでボンヤリしてゐた。此の二三日絲(いと)のやうな小雨(こさめ)がひツきりなしに降續いて、濕氣(しつき)は骨の髓(ずゐ)までも浸潤(しんじゆん)したかと思はれるばかりだ、柱も疊も惡く濕氣(しつけ)て、觸(さは)るとべと/\する。加之(それに)空氣がじめ/\して嫌(いや)に生温(なまぬる)いといふものだから、大概(たいがい)の者は氣が腐(くさ)る。
「嫌な天氣だな。」と俊男は、奈何(いか)にも倦(う)んじきツた躰(てい)で、吻(ほ)ツと嘆息(ためいき)する。「そりや此樣(こん)な不快を與へるのは自然の威力で、また權利でもあるかも知れん。けれども此樣(こん)な氣候にも耐えてゐなければならんといふ人間は意久地(いくぢ)無(な)しだ。要するに人間といふ奴(やつ)は、雨を防(ふせ)ぐ傘を作(こしら)へる智慧(ちゑ)はあるが、雨を降らさぬやうにするだけの力がないんだ。充(つま)らん動物さ、ふう。」と鼻の先に皺(しわ)を寄せて神經的の薄笑(うすわらひ)をした。 何しろ退屈(たいくつ)で仕方(しかた)が無い。そこで少し體を起して廣くもない庭を見※して見る。庭の植込(うゑこみ)は雜然(ざつぜん)として是(これ)と目に付(つ)く程の物も無い。それでゐて青葉が繁(しげ)りに繁(しげ)ツてゐる故(せい)か庭が薄暗い。其の薄暗い中に、紅(べに)や黄の夏草の花がポツ/\見える。地べたは青く黒ずむだ苔(こけ)にぬら/\してゐた………眼の前の柱を見ると、蛞蝓(なめくぢ)の這(は)ツた跡(あと)が銀の線のやうに薄(う)ツすりと光ツてゐた。何を見ても沈(しづむ)だ光彩(くわうさい)である。それで妙に氣が頽(くづ)れて些(ちつ)とも氣が引(ひ)ツ立たぬ處へ寂(しん)とした家(うち)の裡(なか)から、ギコ/\、バイヲリンを引(ひ)ツ擦(こす)る響が起る。 #
by herrokatty
| 2007-02-19 18:20
徳永英明 壊れかけのレディオ
これが、2006年の紅白にくるなんて、でもなんとなくなごやかにきくことができるからいいよな~
OZMAなんかよりぜんぜんよかったのではないだろうか。 彼らは彼らでいい面があると思うが、紅白で彼らのやることを認める必要もないのではないだろうか。 わざわざ、謝罪文をのせるぐらいだったら、はじめから依頼するなよ。 #
by herrokatty
| 2007-01-03 14:32
樹皮
こうした外国仕入れの知識は何といっても貧弱であるが、手近い源泉から採取した色々の知識のうちで特に目立って多いものは雑多なテクニカルな伝授もの風の知識である。例えば『永代蔵』では前記の金餅糖(こんぺいとう)の製法、蘇枋染(すおうぞめ)で本紅染(ほんもみぞめ)を模(も)する法、弱った鯛(たい)を活かす法などがあり、『織留』には懐炉(かいろ)灰の製法、鯛の焼物の速成法、雷除(かみなりよ)けの方法など、『胸算用』には日蝕で暦を験(ため)すこと、油の凍結を防ぐ法など、『桜陰比事』には地下水脈験出法、血液検査に関する記事、脈搏で罪人を検出する法、烏賊墨(いかずみ)の証文、橙汁(だいだいじる)のあぶり出しなどがある。
詐欺師や香具師(やし)の品玉やテクニックには『永代蔵』に狼(おおかみ)の黒焼や閻魔鳥(えんまちょう)や便覧坊(べらぼう)があり、対馬(つしま)行の煙草の話では不正な輸出商の奸策(かんさく)を喝破しているなど現代と比べてもなかなか面白い。『胸算用』には「仕かけ山伏」が「祈り最中に御幣(ごへい)ゆるぎ出(いで)、ともし火かすかになりて消」ゆる手品の種明かし、樹皮下に肉桂(にっけい)を注射して立木を枯らす法などもある。 こういう種類の資料は勿論馬琴にもあり近松でさえ無くはないであろうが、ただこれが西鶴の中では如何にもリアルな実感をもって生きて働いている。これは著者が特にそうした知識に深い興味をもっていたためではないかと思われる。 西鶴がこういうテクニカルな方面における「独創」を尊重したのみならず、それをもって致富の要訣と考えていたことも彼の著書の到る処に窺(うかが)われる。例えば『永代蔵』の中では前記の紅染法の発明があり、「工夫のふかき男」が種々の改良農具「こまざらへ」「後家倒し」「打綿の唐品」などを製出した話、蓮の葉で味噌を包む新案、「行水舟」「刻昆布(きざみこんぶ)」「ちやんぬりの油土器(あぶらがわらけ)」「しぼみ形の莨入(たばこいれ)、外(ほか)の人のせぬ事」で三万両を儲けた話には「いかにはんじやうの所なればとて常のはたらきにて長者には成がたし」などと云っている。どんな行きつまった世の中でもオリジナルなアイディアさえあればいくらでも金儲けの道はあるというのが現代のヤンキー商人のモットーであるが、この事を元禄の昔に西鶴が道破しているのである。木綿をきり売りの手拭を下谷(したや)の天神で売出した男の話は神宮外苑のパン、サイダー売りを想わせ、『諸国咄』の終りにある、江戸中の町を歩いて落ちた金や金物を拾い集めた男の話は、近年隅田川口の泥ざらえで儲けた人の話を想い出させて面白い。これの高じたものが沈没船引上げの魂胆となるのである。 大して金儲けには関係はないが、『織留』の中にある猫の蚤取(のみとり)法や、咽喉(のど)にささった釣針を外ずす法なども独創的巧智の例として挙げたものと見られる。 #
by herrokatty
| 2006-10-29 14:35
河原
「発破だぞ、発破だぞ。」とぺ吉やみんな叫んだ。しゅっこ[#「しゅっこ」に傍点]は、手をふってそれをとめた。庄助は、きせるの火を、しづかにそれへうつした。うしろに居た一人は、すぐ水に入って、網をかまへた。庄助は、まるで電車を運転するときのやうに落ちついて、立って一あし水にはひると、すぐその持ったものを、さいかちの木の下のところへ投げこんだ。するとまもなく、ぼぉといふやうなひどい音がして、水はむくっと盛りあがり、それからしばらく、そこらあたりがきぃんと鳴った。煉瓦場の人たちは、みんな水へ入った。
「さぁ、流れて来るぞ。みんなとれ。」としゅっこ[#「しゅっこ」に傍点]が云った。まもなく、小指ぐらゐの茶いろなかじかが、横向きになって流れて来たので、取らうとしたら、うしろのはうで三郎が、まるで瓜(うり)をすするときのやうな声を出した。六寸ぐらゐある鮒(ふな)をとって、顔をまっ赤にしてよろこんでゐたのだった。 「だまってろ、だまってろ。」しゅっこ[#「しゅっこ」に傍点]が云った。 そのとき、向ふの白い河原を、肌ぬぎになったり、シャツだけ着たりした大人や子どもらが、たくさんかけて来た。そのうしろからは、ちゃうど活動写真のやうに、一人の網シャツを着た人が、はだか馬に乗って、まっしぐらに走って来た。みんな発破(はっぱ)の音を聞いて、見に来たのだ。 庄助(しゃうすけ)は、しばらく腕を組んで、みんなのとるのを見てゐたが、 「さっぱり居なぃな。」と云った。けれども、あんなにとれたらたくさんだ。煉瓦場(れんぐわば)の人たちなんか、三十疋(ぴき)ぐらゐもとったんだから。ぼくらも、一疋か二疋なら誰(たれ)だって拾った。庄助は、だまって、また上流(かみ)へ歩きだした。煉瓦場の人たちもついて行った。網シャツの人は、馬に乗って、またかけて行ったし、子どもらは、ぼくらの仲間にはひらうと、岸に座って待ってゐた。 「発破かけだら、雑魚(ざこ)撒(ま)かせ。」三郎が、河原の砂っぱの上で、ぴょんぴょんはねながら、高く叫んだ。 ぼくらは、とった魚を、石で囲んで、小さな生洲(いけす)をこしらへて、生き返っても、もう遁(に)げて行かないやうにして、また石取りをはじめた。ほんたうに暑くなって、ねむの木もぐったり見えたし、空もまるで、底なしの淵(ふち)のやうになった。 #
by herrokatty
| 2006-08-11 23:27
庄助
さいかち淵(ぶち)なら、ほんたうにおもしろい。
しゅっこ[#「しゅっこ」に傍点]だって毎日行く。しゅっこは、舜一(しゅんいち)なんだけれども、みんなはいつでもしゅっこ[#「しゅっこ」に傍点]といふ。さういはれても、しゅっこは少しも怒らない。だからみんなは、いつでもしゅっこしゅっこ[#「しゅっこしゅっこ」に傍点]といふ。ぼくは、しゅっことは、いちばん仲がいい。けふもいっしょに、出かけて行った。 ぼくらが、さいかち淵で泳いでゐると、発破(はっぱ)をかけに、大人も来るからおもしろい。今日のひるまもやって来た。 石神(いしがみ)の庄助(しゃうすけ)がさきに立って、そのあとから、煉瓦場(れんぐわば)の人たちが三人ばかり、肌ぬぎになったり、網を持ったりして、河原のねむの木のとこを、こっちへ来るから、ぼくは、きっと発破だとおもった。しゅっこも、大きな白い石をもって、淵の上のさいかちの木にのぼってゐたが、それを見ると、すぐに、石を淵に落して叫んだ。 「おゝ、発破だぞ。知らないふりしてろ。石とりやめて、早くみんな、下流(しも)へさがれ。」 そこでみんなは、なるべくそっちを見ないやうにしながら、いっしょに下流(しも)の方へ泳いだ。しゅっこ[#「しゅっこ」に傍点]は、木の上で手を額にあてて、もう一度よく見きはめてから、どぶんと逆(さかさ)まに淵へ飛びこんだ。それから水を潜(くぐ)って、一ぺんにみんなへ追ひついた。 ぼくらは、淵の下流(しも)の、瀬になったところに立った。 「知らないふりして遊んでろ。みんな。」しゅっこ[#「しゅっこ」に傍点]が云(い)った。ぼくらは、砥石(といし)をひろったり、せきれいを追ったりして、発破のことなぞ、すこしも気がつかないふりをしてゐた。 向ふの淵の岸では、庄助が、しばらくあちこち見まはしてから、いきなりあぐらをかいて、砂利の上へ座ってしまった。それからゆっくり、腰からたばこ入れをとって、きせるをくはへて、ぱくぱく煙をふきだした。奇体だと思ってゐたら、また腹かけから、何か出した。 #
by herrokatty
| 2006-08-11 23:26
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